みんな風に吹かれてしまえ。
何度目かのセルフ一挙見返しをしてきたのであれこれ感想書いちゃうもんね!
風が強く吹いているはすごくすごく良い作品だよ。
そしてこのタイミングで感想を書いているからといって、特にどこかで一挙してる訳でも無料で見られる訳でもないです。入れてくれアマプラ。
書影は利用不可でしたわ!
●概要
風が強く吹いている
舞台は世田谷は祖師ヶ谷大蔵にある寛政大学、と、学生寮の竹青荘・通称あおたけ。
朝晩まかない付きで月々3万、風呂トイレ共同。
そこに集う(一部経験者を含む)ほぼほぼ素人の学生10名で箱根駅伝に挑むお話です。
原作は三浦しをんさんの小説で、2018年10月~2019年3月の2クールに渡ってアニメが放映されました。
映画ならアマプラで見られます。
私は豊永さんの声が聞きたかったのでアニメを追いかけてました。
豊永さんのハイジさんは最高だぞ。
以前、同じように三浦しをんさん原作の「舟を編む」アニメも見てたんだけど、こちらもしっとりと良い作品だったので今回も期待して見てました。
駅伝
スポーツにはまったく明るくないので、フルマラソンと駅伝の違いも「ひとりで走るか、たくさんで走るか」程度の認識しかないざまです。
毎年正月に行われるあの箱根駅伝が、どのような手順によって開催されて、選出されているのかもはじめて知ったよ。
軸にあるのはこの「箱根駅伝」、そして箱根駅伝を通した「走る」ことそのもの。
何のために、誰と、どのように走るのか。
走って、走って、どこに行くのか。何を得るのか。
そしてそもそも、走るとは何なのか。
登場人物たち
駅伝って往路復路あわせて10人で走るんですね。まずそこからという知識状況。
10人で走るので、最低でも10人出てきます。
いきなり覚えきれるかと思いきや、意外なほど全員覚えられます。
全員ニックネームで呼ばれてるのでEDの本名キャストにいまだに戸惑う。
この10人は陸上経験者は含みつつもそもそも大学に走りに来てる訳ではなく(唯一走りに来ていたのは箱根発案者のみ)、脅され絆され何らか折り合いをつけつつ箱根を目指すことになります。
彼ら10人が十人十色で迎えた箱根駅伝、それぞれの走る理由と走る景色の違いがすごく好きなんだ。
ひとりじゃないから走れる人もいれば、ひとりきりだから走れる人もいる。
そのどちらもが「走る」こととして描かれているところがとても好き。
●ひとりじゃない
駅伝を扱うので、ひとりではない・チームである ということは割とよく描かれているのだけど、話によってかなりいろんな方向からピックアップされているところも面白い。
整理したらまた違って見えるかな。
ひとりだけが早くてもチームとしては成り立たない。
でも遅ければあっさりとチームから外されてしまう。
ひとりの不祥事で全員がとばっちりを食う。
けれど全員が、必死に前を見て走っている。
ひとりひとりが繋げて、支え合っている。
誰かのタイムを誰かが縮めている。
戦略的に連携をとれることもチームの面白さだなあ。
協同体制である「ひとりじゃない」と、
連帯責任を伴う「ひとりじゃない」が、話によってそれぞれの顔をちらつかせる。
現象は一つなんだと思う。十人のチームを構成して走る。
それが支えになるか、重しになるか、息苦しさになるか、この違いがどこにあるのか。
信頼関係やコーチの手腕と簡単には言えないなと思う。
あの場で走ってる全員は必死だし見合う努力を重ねて研鑽してきていた。
(そしてこれら、他校の選手たちの様子も繰り返し描かれていた)
この「ひとりじゃない」あり方がチームの色にもなってる。
寛政と東体大と六道はそれぞれあり方が違う。
おそらく何のためにあるチームなのかで変わってくるんだ。
でも勝利を義務付けられた六道の中で、藤岡さんがあの哲学と価値観を育んできたのは異色な気もする。それともあの環境だから見えたものなのかな。勝利はもはや目標でも目的でもなく前提だから。
●強くなれ
作中で何度か語られるランナーとしての才覚、その基準になるものとして「強さ」があるんだ。
速さではなく、強さだと。
好きなのはその強さを体現する選手がきちんと出てくるところ。
六道大の藤岡さんは確かに強い選手なんだ。記録を出して義務どころか前提になりつつある勝利も着実に叶えてくる。
そして藤岡さんの見据える先の、静けさ。
変動し続ける記録の世界で、勝利そのものに普遍の価値を見出すのは難しく、では何をもって自分たちは「勝った」「負けた」と見るのか?
それは結局自分との戦いに終始していくことになるんじゃないか、っていうことを、容赦なく記録を叩き出してくる藤岡さんが言うトコがな、なんというかもう「王者の言葉」って感じすよね。
彼が記録の最先端にいるのだから記録そのものを見てたらもうそれ以上なんて無くなってしまうし、それ以上を追求し続けるからこそ藤岡さんは王者として君臨出来るのかもしれない。
あと藤岡さんの強さのひとつに「言語化出来ること」が含まれているところもすっごい好きなんだよな!
これは小説版で細かく描かれているんだけど、走くんはちょっと言葉が足りない。うまく言語化出来ない自分を知っている。
走くんが言葉を得ようとしていくところもめちゃくちゃ好きなんだけど、それら踏まえた王者として藤岡さんが居てくれるのがとても良いんだよな。
改めて見ていると、この層の選手たちは明らかに違う。勝敗の先にいる選手たち。相手と自分の距離感が違う。
でもそこに至るには確実に「勝者」のステップは必要で(何故なら予選も箱根も勝ち進まねばならない)、勝利なき哲学は成り立たないのも残酷だなあと思う。
●選ばれたもの 選ばれなかったもの
走くんは選ばれ続けたが故の孤独をもち、ハイジさんは選ばれなかったが故の覚悟を得た。
その拠り所が「走るの、好きか」なのかな。
選ばれることも選ばれなかったことも、それ自体に本人の意思や希望なんてものはないんだ。
望んで選ばれなかった訳ではないし、望むように選ばれた訳でもない。
それは、終盤・それぞれの駅伝区間エピソードで語られている。
体格に”選ばれなかった”ニコちゃん先輩、ひざの故障で”選ばれなくなった”ハイジさん。
たいていの人々は選ばれないものだから、物語の多くは”選ばれない”人々に焦点が当たるんだろう。
そして確かに”選ばれ続けた”走くんのエピソードからも、それは伺い知れる。
でも、もっとも大切なのは、彼らが”選んだ”ことなんだ。
選ばれるのを望み、待つのではなく、彼らが自らその世界に踏み入っていったこと。
このあたり、”選ぶ”ことについては、5話あたりからすでに言及されている。
キングさんの就活付近、神童さんとの対話でも描かれている。
いわく、楽しいから本気になるのではなく、本気になれば楽しくなるのではないか。
与えられ選ばれるのを待つのではなく、自ら選び踏み込んでいくことで見える世界があるのではないか。
神童さんのこの達観性ほんと何なの、あと酒入った時の絡みっぷりと山形弁が最高に可愛い神童さん。
自ら選び踏み入ること、それは覚悟だ。
21話でニコちゃん先輩は話す。「楽だというなら、何もしないのが一番楽だ」と。
走ることも、禁煙もダイエットも、やらないのが一番楽だ。でももうやると決めたんだ、その時から分かってたことだからと。
13話の、みんなに過去の話をするシーンもとても好きなんだ。
ユキちゃん先輩が「もう自分たちは走りだしている」って口火を切るところがとても良いよね。
謝罪ではなくありがとうを伝えて(この描写、小説版のとこも好き)箱根に出たいってはじめて決意表明をした。
あなた達と行くのだと、行き先と相手を自分で選んだ。
ちょっと話は逸れちゃうけど、走くんの高校時代のエピソードもとても好き。
コーチのパワハラシーンが記憶以上につらくて胃痛がした。つらい。
高校時代、というよりも、走君が確かに才能ある選手であることがわかるエピソードがとても好き。
走る才能と体格、故障なしで記録を叩き出せる身体。
こと陸上の神様に愛された走くんが走る世界の、この孤独。
ちなみに原作では、走くんは自分に才能があるから記録が残せたのではなく練習をしたからだと話してる。
そらそうだよな、才能なんて一言で片付けられたらそんなの堪らないよな。
けれどひとりで走り続けられるそれこそがひとつの得難い才能であるとやっぱり思うよ。
真摯であると、言っていたのはハイジさんだったかな、走くんだったかな。
”走る”ただそこに、自分の身一つ・心一つで向かい合う真摯さや美しさを保ち続けていられたのは幸運であり才能であり、ものすごい苦しさであっただろうとも思う。
走くん、いつもいつも何かから逃げるように走っていた。
自らを苛む何かを常に隣に置いて走っていた。
ハイジさんの凄まじさは、彼らの走る世界を研ぎ澄ませていったところにあるとつくづく思う。
心地良い孤独も、愛しさも、苦しさすらも。
そしていつもいつも叩きつける。
走るとは何だ。走るとは何だ。
ゴールを見据えて走り続ける姿は、原作とアニメでまた印象が大きく違ってるんだよね。
アニメでは未練を箱根で昇華して次の一歩に進み出す様子が描かれていて、力強く未来へ進むという意味での「越え続ける」物語として受け取っていたんだけど、原作はこの「越え続ける」様子に「ゴールのなさ」も感じられる。
いけどもいけども求めどもゴールはなく、走ることはすでに問に近いと走くんは言っていた。
見えないゴールへ向けて延々と問いかけ続ける。求道者じゃん……。
●長々と話してるけど、結局なにが好きなのか
> 一つ処に真摯に向かい合う姿があまりにも美しくて、
> なんてうつくしい生き物なのだろうと思い、ああ、うつくしい生き物になりたかったなあと思う。
> なりたかったな。
> 結局ここに来るんだなあ私の心は。その美しさに打たれて焦がれてしまうんだ。
これは、原作の小説があと2割ほどで終わるっていう時に書いていた感想メモです。
”風が強く吹いている”は、孤独の描き方が優しい。
他にうまくあてはまる言葉が見当たらないのだけど、満ちたひとりであることを描いてくれる。
足りないのでなく、集団に入れないが故の孤独ではなく、自分が自分と、あるいは何かと1:1で向かい合った時に訪れる孤独。
その姿、向かい合う姿、向き合い方、それらの美しさが好きだ。