薬草魔術師の記録-リプレイSS

薬草魔術師の調合机
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『拝啓
 テンポス先生、お元気ですか。
先日送った苗はもう根付きましたか?こちらは変わらず発掘ばかりで、あっという間に日々が過ぎていきます。今の地層は海から陸、また海と繰り返された場所で………』
 
 赤茶けた砂混じりで届いた封書には、はるか南方の大陸で発掘に勤しむ様子が続けて綴られている。発掘した遺跡の大きさを両手を広げて語る姿が目に浮かぶようで、テンポスの頬がやわらかく緩んだ。

 深く腰掛けた椅子から研究机向こうを見やれば、燦々と陽を浴びている薬草庭がある。大股で歩けば10歩もかからないような幅と奥行きの小さな庭は、テンポスの家の内側に収納されている、いわゆる「坪庭」だ。床を丸く切り抜いてせっせと黒土を盛り込んで、家のどこからでも庭の様子が分かるように、壁にはガラスと木枠のダイヤ格子をはめ込んだ。ゆったりと弧を描くダイヤ格子は、師からの贈り物だった。「お前の魔力ならこれくらいの広さが丁度良いよ」

 師の声音はもうはるか記憶の奥だが、この子の声はそういえば似ているように思う、とテンポスは手紙の2枚目を捲った。師の子、そのまた子、さらに次の子、さらにそのまた子、と決して短いとは言えないが、テンポスにとっては充分追っていける速度で人々は世代を重ねていく。手紙の主は幼い頃からよく懐き、いつからかテンポスのことを「先生」と呼ぶのだった。

『そういえば、以前も手紙でお知らせした発掘隊の水晶種の人のお話に進展がありました。ずっと手袋をしてる人のお話です。先生は、手に傷でもあるのじゃないかとお返事下さいましたが、とうとうこの間お話してくれたんです。そうしたら、奥さんとつなぐ手は元の色にしていたいから、ですって!私、その人のことがうんと好きになってしまいました』

 興奮しているように丸みのある文字が少し跳ねながら続いている。
水晶種は大抵ロマンチストだ。長い時を鬱蒼と過ごせる性分ではないのだろう。それはテンポス自身も含めてだ。そもそもそうでなければ、日焼けの色抜けを気にせず発掘になんて行かないし、薬草庭を拵えたりもしない。

『お話したいことはたくさんあるんですが、これ以上書くと依頼書の規定枚数を超えてしまうので、また改めて手紙を書きます』

 これが手紙ではなかったのか、とテンポスは改めて封書をくるりとひっくり返す。裏の隅に、薬草魔術師への依頼を示す掠れた押印があり、読み進めた4枚目にようやく見慣れたフォーマットの依頼書が現れた。

 小さな坪庭で立ったり屈んだりを繰り返しながら、依頼書の内容に目を通す。規定枚数ギリギリの文量で届いた依頼は「傷薬」だった。発掘現場に生傷はつきものだが、当然彼らは彼らで薬も持っているし医者もついている。にも関わらず薬草魔術師に依頼を出す時は、イレギュラーが発生していたり専用薬が必要な場合だ。今回該当するのは後者、専用薬の方だった。

『その手袋の人、指先に傷跡があるんです。痛くはないらしいんですが、大事にしているので気になって……。それで、先生ならきっと良いお薬を作れると思ったんです。先生覚えてらっしゃいますか?私がまだ7つを数える頃………』

 依頼書の余白ギリギリに追いやられた文字は小さくなりながら余談を連ね、テンポスは顔を近づけたり離したりしながら何とかおよその話を把握した。傷跡と言うが、実際には色抜けの偏りがそう見えるのだろうとあたりを付ける。特に指先や耳先は温度変化が色に出やすいからだ。完全に治すことは難しいが、多少目立たなくさせる程度なら可能だろう。

 さて、とテンポスは庭を見渡す。ぐるりと丸い坪庭には、木製のプランターと灌木、ささやかな畝が行儀よく収まっていた。プランターから溢れるように伸びている肉厚の葉は熱冷ましになり、その隣のプランターにあるレモン色のつぼみは鎮静作用のある茶になる。いちばん新しい土製の植木鉢に植えられているのが、先日送られてきた苗だ。
 口中でぶつぶつと効果と素材を組み合わせながら、テンポスは奥まった位置にある灌木の根本を手で少しだけ掘り返す。体質から考えれば鉱石の方が合うだろうが、硬い根の炭ならば以前にも扱ったことがあった。腰に下げていたナイフで、根の伸びる方向を確認しながら慎重に切る箇所を選ぶ。もっと大きな庭を作れたら、お前ももう少し伸び伸びと育ててやれたんだけど、と小さな声で呟けば、頭上からいくつか実が落ちてきた。

 芽吹かせるのは一種ずつになさいというのは、師の言いつけだった。多くの薬草をすべて育てきれるほど、テンポスの魔力は多くはなかった。
 若い頃は庭ではなく「園」が欲しかった。テンポスの師も立派な薬草園を持っていたからだ。潤沢な魔力のもとで生き生きと育った薬草たちは、力強く、美しかった。そしてその生命力をそのまま凝縮しているような調合もまた美しかったし、それはテンポスの憧れを引き出すのに十二分すぎる光景だった。しかし、薬草魔術師の調合としては師のような華やかさを持ち得ている方が稀で、大抵は静かに穏やかに行われるものだ。決まったものを決まった量使って、決まったものを正確に作り出す。時折、何か新しいものが結果に出てくる程度の方がテンポスには合っていたし、好むスタイルでもあった。

 切り取った根と落ちてきた実を研究部屋に持ち帰り、耐熱瓶に詰めて三脚に乗せる。正円になるように陣を羽筆で描き、中心に熱源となる石を据えれば準備は完了だ。石に魔力を吹きかければ、次第に赤から青へ色を変えながら熱を持つ。魔力の量を調整しながら、ちょうど夕暮れ間近のような紫になったところで熱を固定した。熱と魔力が逃げないよう、陣と三脚・耐熱瓶まですっぽり覆えるカバーを被せれば、あとはじっくりと炭になるのを待つだけだ。
 しばらく大人しく見守っていたテンポスが、おもむろに椅子を立った。棚からもう1セット分の三脚と耐熱瓶、陣用の紙を取り出してセッティングをしている。ちらりと加熱中の耐熱瓶の方を確認がてら、小さく呪文を追加して静かに研究部屋から出ていった。

 テンポスの家は、薬草庭と研究部屋・キッチンなどの主な活動スペースのある一階と、寝室のある地下で構成されている。知人から購入した時に大幅な改装をしたのは坪庭の箇所のみで、他はそのままの間取りを維持している。そのおかげで改装直後は水やら土やら魔力が地下に漏れて大変な思いをしたものだ。水の流れまで制御できるような魔力があれば、そもそも坪庭ではなく堂々と大きな庭に出来るのだ。と文句を言いながらも少しずつ修繕を繰り返し、近所の精霊たちにも頭を下げて協力を仰いでまわり、ようやく数年後に落ち着いた。
 そのような努力と改善の果てに整えられた地下は魔力や温度、水の巡りまでが丁寧に調整され、結果的にもっとも居心地の良い空間となった。そしてその居心地の良い空間をさらに活用すべく、テンポスが奥にそっと拵えたのがワイナリーだった。

 しゅんしゅんと根から水分が抜けていく音が小さく響く耐熱瓶の隣に、赤ワインの入れられた耐熱瓶セットが並んでいた。耐熱瓶のワインを少しずつカップで飲みながら炭用の石の温度を調整するうち、外からこつこつと小さく窓を叩く音がする。どうやらワインのおすそ分けを要求されているらしい。
小さな錫製のカップに温かいワインを移し、キッチンから持ち出していたはちみつを一匙。窓枠に並べると、やがていくつかの小さな笑い声が窓越しに聞こえるのだった。

 焼き上がった炭は青鈍色の粉末になった。そっと指ですくい、舌に乗せたテンポスの眉間に深いしわが刻まれる。かなり苦味が強いようだ。助けを求めるような手がワインと迷った挙げ句、精霊用に持ち出していたはちみつに落ち着いた。さすがにこの苦味では飲まされる方も哀れだ。そう判断したテンポスは、はちみつと柔らかなミントをあわせて乳鉢でゴリゴリとすり潰し始めた。

 「調合」の意味する範囲は薬草魔術師によって異なる。材料の調達から調合と呼ぶものもいれば、魔力と材料の混合のみを指すものもいる。
 テンポスにとっての「調合」は前者、およそ全ての工程を指し示していた。それこそ苗ひとつを選ぶこともテンポスにとっては「調合」だった。それは大げさでもなく、薬草魔術師として常に緊張しながら行われることだからだ。テンポスにとって、細々とした小さな芽の世話をすることも、魔力をもって何かを為すことも、本来は決して得意なことではない。どちらかといえば、体力のまま野を歩き地を渡る、それこそ発掘隊のような動き方こそが向いている。知識は長い時間と共に蓄積されていっても、持って生まれた器用さや魔力ばかりはそれ以上どうすることも出来ない。しかし、だからこそ、憧れてやまない姿でもあった。

 丹念にすり潰しながら、小さな声で呪文を呟く。その度に、右耳に下げた二連の石が音叉のように細く長く震えた。石はテンポスの呪文をよく聞き分けて、魔力を少しだけ増幅させる。もうずいぶんと長い付き合いだ。細かな青い炭は時折炭酸水のように弾けて、はちみつと混じり合い滑らかな丸薬へと姿を変えていった。

『拝啓
 テンポス先生、お元気ですか。
そちらはそろそろ雨季に差し掛かる頃でしょうか。こちらは変わらずカンカン照りで、日除け場所を探すのにも一苦労しています──』

 研究机から見える薬草庭には、わずかに開けた雨取用の窓から霧のような細かな雨粒が降り注いでいた。かすかにパチパチと火の粉が爆ぜるような音が響く。水を含んだ種がいくつか割れたのだろう。
 変わらず乾いた赤い砂の溢れる手紙(今度こそ手紙としてたっぷりとある)は、小さな包みと共に届けられた。手のひらにおさまる程度の包みには、報酬の金貨の他に橙色の原石がいくつか入れられていた。まだ磨かれていないそれは、子ども用の飴のようにも見える。

『包みに、丸薬のお礼にと預かった石を一緒に入れましたので、是非受け取ってください。このあたりで採掘できるもので、こちらの言葉で「蠍の心臓」と呼ばれています。蠍の心臓と言えば、──』

 丸みのある心臓は、雨音の中でも変わらず豊かな橙色を湛えていた。相性が良ければ耳に下げるか、少し削って顔料にするか、ランタンの芯に入れてもきっと美しい色で燃えるだろう。ためつすがめつ眺めていたテンポスだが、やがて窓際に置いて椅子に深く座り直した。まあ、まずは一仕事終わった休息を取ることにしよう。濃いめに淹れたコーヒーをすすると、耳元の石が優しく震えた。

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