うぇええええええい
もう監督の来歴とか作風とか、好きな人が語ったらええねん!!!
私は好きなトコだけ偏執的に書くぞうおおおおおおおおお。
っていう、星を追う子どもの感想です。
やっと見れたんです。
新海誠作品は随分前に「ほしのこえ」を見たのがはじめてでした。
時間ですら共に出来ない設定がとても好きだなあと思いつつ見ていました。
少女とロボットは良いものよね。そうだね戦闘シーンが一番好きだったね。
ほしのこえは割と好きだったけど、君の名は。はいまいち合わなかったと零したら
こちらの方が合っているかもよとオススメしてもらったものの
Huluにハブられ続け、ハブられ続け、新海誠特集されてたのにハブられ続け
ようやく機会があって見れたよ!!!
で、冒頭に戻ります。
もう作品内容とか考察とか一連の新海誠作品におけるポジションとかは、他レビュアーさんの記事がおすすめです。
私はにわかもにわかなので、もう森崎先生のことしか話しません。
森崎先生、最高だったよ。
「妻を亡くした従軍経験を持つ教師・井上和彦」の時点で属性過多で死にそう。
この亡くした妻の黄泉返りを悲願としてひたすら地下世界の研究に没頭するどころか
実動班として銃を片手に動き回る行動派が森崎先生だよ。
教え子だった主人公の少女アスナちゃんと一緒に異世界を旅して、
それなりに仲良くなったり情が芽生えたりして、きちんと生きなさいと諭しながらも
最愛の人の前にはすべて無駄と言わんばかりの吹っ切れ方してるのが森崎先生だよ。
本当にここ。
年端もいかない・それもこれまで共に行動してきた少女を、
もう10年も前に亡くなった妻の生贄に何の躊躇も無く捧げられるところがとにかく好き。
だってまったく迷う時間は無かった。
「君が来たのか。できれば君でない方が良かったな」程度の逡巡。
この『それはそれ、妻は妻』で振り切れてるところほんと好き。
おそらく、私が中学生位の頃に見ていたなら
この過去と死者に固執し続ける森崎先生を心底だめな大人だと一蹴していたと思う。
死を受け入れて世界を分かつべきだと思ったと思う。
そして生きているものの方が尊いし、死者を蘇らせる言わば「理に反する」ことはいけないのだとも素直に思えたのだとも思う。
でも、10年だ。
あの10年を思い、悲しみすら忘れたくない悲しみがある妄執の片鱗を何となく感覚で知るようになってしまったら、
あの反応を一蹴出来ないんだよ。
だめな大人だとは思うけどさ。
実際、アスナちゃんはシュン君の死を受け入れ、ミミとの離別を受け入れ「さよなら」をした。
それはシン君も同様で、兄の死を受け入れてともに泣いていた。
アスナちゃんの母も受け入れられたかは分からないものの、夫を亡くし嗚咽に崩れ落ちながらも今までアスナちゃんを育ててきた。
でもそうは出来なかった「大人」を描いてくれたことが、とても良かった。
行動力が伴ってる分、まったく始末が悪いぜ!
もう先生、妻が大切過ぎておそらく悲しみすら誰とも分け合おうとはしてこなかったんじゃないかなあ。
誰かと悼み、悲しみ、共有することも拒否して、愛したことも悲しむことも全部独り占めして過ごしてきたんじゃないかなあ。
黄泉返りに思いを馳せて、行動してる間中、先生もう妻と一緒くらいの気持ちだったんではないか。
代償として失った両目ですら愛しんで、どこにも居場所なんてない異世界でとりあえず生きていくんじゃなかろうか。
指輪も外さず、妻の夫たる自分として。
そういう妄執、ほんと大好き。
星を追う子ども は、星を死者に見立て喪失した人々がそれらを追い求めた後にどこにたどり着くのかまで描かれてる。
そしてアスナちゃんは元の世界へ。シン君も、居場所は微妙ながら元の世界へ。
でも先生だけは異世界にたどり着いて、そのまま。
未だ星追ってるんじゃないの、先生。
でもどこかで、未だ星を追っていて欲しいとも思ってしまう。
あなたに幸あれと気安く言えない森崎先生ほんと良かった。
もうあの人が抱えてるのが執念なのか呪いなのか一周まわった祝福なのかすら分からん。
監督がパンフレットで答えていたようだけど、
生者と引き換えに死者を追いかけた森崎先生の対応も
それでも生者の方が大切なのだと引き止めたシン君の対応も
どちらが正解だという体で描くことは無かったのだとか。
好きだなぁ、この姿勢。