高校講座の話

基本的に絵を描いてる時はまあまあ元気な時なので、動画でも映画でもドラマでも音楽でも何でも聞ける。
ただ、元気ではないけど気晴らしに何か聞いていたい時もある。そういう時に聞いているものの話です。

感情についていけない時

細かい好き嫌いなんだけど、音楽のドラマ性についていけない時は漏れなく映像作品もほぼダメになる。
多分、メッセージや感情を持て余してしまってうまく受け取れない状態なんだと思う。
そういう時のラジオはというと、人の気配を感じられる反面、基本的に陽気なので負ける。
主にリスナーの皆さんの投稿に負ける。

漠然と流れていく知識

という時に優先して聞いているのが高校講座と放送大学です。
高校講座は、MC役と聞き手役、解説役にナレーションまで入る丁寧な作りで映像も出てきて適度な人の気配がある。
講座によっては先生と聞き手だけのシンプルな構成もあって、私はこちらの方が好みだった。
1話あたり20分なのも集中力的に丁度良い。
放送大学はひたすら先生の話を聞ける。時々先生と聞き手がいるけど、基本的には先生はひとりだけの方が多い。
ラジオの放送大学は紙面資料はあっても「ラジオ」として耳だけで大体の情報が完結する構造になっているのも有り難い。
放送大学に関しては自分の知識から遠いほど良い。全然分からない分野ほど良い。
番組表を見ると人生ではじめて出会う単語があるのも楽しい。日本語として読めるのに意味が理解出来ない紹介文だ~!

これらに共通することは、講義形態ではあってもメッセージではないこと。
感情を後押しせずに知識が淡々と流れてくる。ただ傍らを流れていく話の安心感。
「何かを学んでいるのだ」という感覚は、普段やらない運動をやった時の満足感に似ている。

そして「CMがない」ことの恩恵も地味に大きい。
広告が邪魔だという話の亜種になるのかもしれないのだけど、まったく別のテンションと大きさの音声が急に流れてくるのが弱ってる時には結構つらい。同じ温度やテンポの広告なら全然構わないんだけどな。
ずっと同じ雰囲気、同じテンションで20~45分くらい続けてくれることの有り難さ…。

今さら噛み締めてる各種先人の言葉

自分から出てくるものなんて自分がこれまで吸収してきたものでしかなく、何か出力したいなら何か入力するしかないんだ というのを先人たちは賢く粘り強く何度も諭してくれたはずなのに、結局自分で体験しないとわからないんだなあ(人間だもの)
もともと学業に前向きな学生ではなかったので、習ったはずの「基礎知識」と呼べるようなものすらボロボロなんだ。特に地理と歴史。まあまあ語学と数学もボロいですね。

先日言語文化と日本史を一通り聞き終えて、今は色々と公開されている講座をつまみ食いしている状態です。これがまた面倒なんだけど…何かシリーズを追わなければならなかったり定期的に聞かないといけないものだとか、ちらっとでも義務感が出るともう嫌になってしまうから…適度に楽しいギリギリラインを攻めるようにしています。こういう気質だから学生時代が無だったんだねえ!

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